ユーザーが出来る時計旋盤の精度維持の話
『回転精度の向上の為には、研磨剤を入れて旋盤を回してあげればそれで良いのだ』これは、時計旋盤の販売時のみならず、時々耳にするセリフではあります。
この方法が、時として功を奏する場合も確かにあります。
しかし、ヘッドの状態によっては逆効果になることも時としてありますし、何と言ってもこれを致しますと、ヘッドストックの寿命を縮める結果となる恐れがあります。
ラフな研磨剤を避けて、たとえファインな物を入れてスピンドルを回転させましても、意外なほど容易に、切削するかの如く、コーン部分の研磨が進みます。
しかし、他の要因で精度が悪い場合には、何の解決にもなりませんし、上記しましたように、逆に精度が落ちることにつながることさえあります。
寿命という言葉で表現しましたが、コーンベアリング時計旋盤の寿命はそれほど短いわけではありません。
これの意味するところは、結果として私のような専門家に整備を依頼する必要のある状態に至ってしまうという意味合いです。
その理由や実例を具体的にここで述べるほど私は優しい人間ではありませんので、これ以上の説明は控えさせていただきます。
そこで通常、ショールームにお越しいただき旋盤をご購入いただいたお客様への説明時、あるいは旋盤に関する講演をさせていただく時などにはいつもお伝えしておりますが、私は日常的なメインテナンスとして下記の要領での空回しをお勧めしております。
ヘッドストックの分解掃除後十分な加脂をし、適正なアガキに調整して、パワーがあり、振動の少ないモーターで駆動してあげます。
その時にベルトの張リはやや強めにし(多くの方が緩すぎる状態で使用されていると思います)、ベルトの定期的な(ブルンブルンという)振れが出ない回転数を常に探すようにしてください。
回転数は、800~2000rpmを目安にしてください。私は状態によっては、もっと高回転域も使いますが、慣れない方にはお勧めいたしません。
どちらかと言えば、状態が悪い時には回転数を上げますが、仕上げ時には、モーターの振動は可能な限り抑えたいですので、比較的低目の回転域を使ってください。
時間は合計で5時間~10時間ほどを一応の目安にしてください。
これだけ長時間作動させても、開けてみますと意外なほどにコーン面に変化はありません。それほど微妙なことをしているのだという意識であたってください。
当然ですが、切削作業を日常的に行っていたとしても、それは意味合いがまったく違いますことをご理解ください。
作業時には、モーター側に常に負荷が掛かっている状態となりますので、これはどちらかと言えば、精度が落ちる方向性での稼働となります。
1回のタスクは30分ほどにしませんと、気温にもよりますが、余裕のある3相モーターでも過度な熱を持ち始めます。
その1回ごとに、スピンドルには必ず注油をしてください。
モーターもヘッドストックも、手を触れ続けることが不快になるほどの熱を持ったら、作動を一度中断してください。
しかしながら、実はヘッドストックにはある程度の適切な熱は持たせたいのです(その為には回転を上げる必要があるわけです)。
熱を持っていないという事は、研磨が進んでいないことを意味していると思ってください。ですからこの時、適正なアガキに調整されていることがとても重要になってくるのです。
ただ、ヘッド部分の発熱量はごくわずかである場合がほとんどです。
もし手を触れ続けることが難しいほどの熱を持つようでしたら、それはむしろ何らかの問題を抱えていると考えるべきです。
アガキが極端に少ない場合もありますが、そうであればご自身で気付くことが出来るほどにきつく調節されているはずです。
これはある意味において、新車状態にある車のエンジンの慣らし運転の進め方に近いところがあると感じています。
その進捗具合によって決まる、適正な負荷 (アクセルを変化させることで作り出します) を与え、その結果生まれる適切な熱を持たせてあげることで、初めて慣らし運転が効率良く進むのと同様だからです。
エンジンの場合は、アクセルを一定にして、一定の速度で走り続けても、真の慣らし運転は進みませんが、熱管理が重要な点では共通しています。
かつての一時期、バイク業界にいましたので、この辺の話にはつい熱を帯びてしまいます。
コーン面の状態次第ですので、明確なことは書けませんが、数ミクロンの精度アップが期待できる場合があります(当然ですが、この確認の為には現代の精密なダイヤルゲージが不可欠です)。
この空回しは、ある程度状態の良い包丁等の刃物を、仕上げ砥石で研ぐのに近いように感じています。
つまり時計旋盤では、稼働させることで常に研磨し合っているコーン面は、比較的状態の良い刃物に近い状態に例えることが出来るのではと思います。ただ、多少の荒れた部分は存在していて、空回しをすることが仕上げ砥による研ぎに相当して、コーン面を磨いてくれるのではないかという意味合いです。
しかし逆に言いますと、荒砥が出来ていない状態のヘッドストックの方が圧倒的に多いわけですので、その状態の場合にはこの空回しはあまり意味を持ちません。
ただし、ここからが重要ですが、全く変化がない場合もあります。
しかし、この程度の慣熟運転では逆に精度が落ちることはないと考えていただいて良いと思います。
研磨剤を使わないで行ってくださいという意味はここにもあるのです。
非常に微細な調整ではありますが、そのことが良い方に出ることはあっても、この程度でおかしな研磨になってしまうことはないと、これまでの整備経験則から明言することが出来ます。
この作業で、精度にまったく変化がない場合は、他に精度を阻害している要因がある可能性が高いということになります。しかし、厳密に語ると、そうと言い切ることも出来ないのですが、説明をする上での、一般論として受け取ってください。
しかし、鶏と卵の話のようになってしまい恐縮なのですが、こうした確認をする為には、狂いがほぼゼロのチャックが必要です。狂ったチャックで上記のような確認をいたしましても、当然あまり意味を持ちませんし、狂いのないチャックの確認のためには、狂いのない旋盤が必要となってしまうというわけです。
その為に、私は納品時にお求めいただく方と共に行う状態確認と、各種の説明を重要視しているのです。旋盤の状態を把握していただいておけば、証とするチャックの選定も可能になります。
また、実際の整備の順番は、その状態次第で決まりますので、このようにスピンドルを回転させるタスクを一番初めに行うと決まっている訳ではありません。話の主旨をご理解いただけますと助かります。
私が常日頃から、ご予算さえ許せば、アメリカ製や国産単相モーターではなく、高回転が可能でパワーに余裕があり振動も最低限な3相モーターをお勧めする理由には、上記の用途に使用する事を前提としているところがあるからなのです。
一方で、私が他の方がされているように動画で時計旋盤のオーバーホールのやり方を公開することをしてこなかったのは、動画では様々な情報を正確に伝えることが出来ないと考えているからです。
分解、組み立て時の注意点はあまりに多いですし、適正なアガキは重要ですが、これを動画でお伝えすることは困難ですし、ベルトの張りも意外なほどに重要なのです。
将来お伝えする自信が出来ましたら、トライしてみることはあるかもしれませんが。
お会いした上でと私が繰り返すのには、そうした意味合があることもご理解ください。
ただ、お伝えするのは難しいと言いながら、こうしてここに書かせていただいているのは、正しくない情報を流布する方があまりに多いからです。
販売時に、旋盤の精度出しなど簡単で難しくない、と主張したい気持ちは分かりますが、それでしたら、その簡単なことをしてから、精度を保証して販売すればよいのにと、整備に自分の持ちうる全てをかけているつもりの私としては、ついそう思ってしまうことを正直にここに吐露いたします。
トップページに、時計旋盤の精度に影響を与えている要素は意外なほど多岐に渡るという事を書かせていただきましたが、精度を悪くする他の要素をすべて排除した上でダブルコーン面を問題にするのでしたら、そのことが大きな意味を持つことは当然あります。
2022年09月21日 15:58
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